私は沖縄戦のことを考えるとき、いつも知念功という左翼活動家と天皇・皇后両陛下のことを思い出す。
天皇・皇后両陛下(当時皇太子殿下・美智子妃殿下)は1975年、戦後初めて皇族として沖縄をご訪問された。天皇陛下の周囲にはご訪問に反対する声も多かった。というのも沖縄戦が行われたのは戦争末期で、昭和天皇がもっと早く終戦の宣言をしていれば沖縄戦は行われなかった。そのため、沖縄の人たちには皇族に対する複雑な気持ちがあった。天皇陛下の周囲の人たちは、沖縄を訪問されることで、天皇陛下が襲われる可能性があることを危惧していたのだ。しかし、天皇・皇后両陛下はご自身の判断で訪問を決意された。
天皇・皇后両陛下の沖縄ご訪問が決まると、沖縄の左翼たちは記念碑や公共施設の壁にペンキで「皇太子は来るな」と書きまくり、連日デモ行進を行い、機動隊と小競り合いを繰り返した。しかし、天皇・皇后両陛下は予定通り沖縄をご訪問された。当日、天皇・皇后両陛下の車列には、道路際にあった病院のベランダから、患者と見舞い客を装って潜伏していた左翼によって「皇太子は来るな! 天皇制反対!」の叫び声とともに石やスパナが投げ込まれた。しかし、天皇・皇后両陛下は予定通りひめゆりの塔をご訪問された。
ひめゆりの塔は、沖縄戦当時、兵士の救護などに当たった女学生による、ひめゆり学徒隊を慰霊したもので、慰霊碑、納骨堂、そしてその真ん中に、ひめゆり学徒隊が毒ガスをまかれて、多数の死者を出した洞窟がある。 天皇、皇后両陛下はそこに花をささげられ、頭を下げられた。その瞬間、洞窟からヘルメットをかぶった、知念功ともうひとりの左翼が出てきて、陛下の足元に火炎瓶を投げつけた。 当然、天皇、皇后両陛下はSPによっていったん自動車へ避難された。しかし、すぐに両陛下は自動車から降り、再びひめゆりの塔に向かわれた。そして、両陛下の案内役をしていた、ひめゆり学徒隊の生存者のひとりのところに行き「お怪我はありませんでしたか」とおっしゃられた。
このひめゆり学徒隊生存者の案内役の人は、沖縄人として、天皇陛下に一言物申すつもりだったそうだ。しかし、いちばん最初に自分を気遣う両陛下を見て、考えが変わったそうある。
両陛下は、生命をかけて沖縄の人たちとの心のつながりを望んでいたのだと思う。
そして、知念功もまた、生命をかけて沖縄を守ろうとした。当然テロ行為など許されるはずもなく、ましてや日本国の象徴と憲法で定められている天皇陛下に将来なる方に向かって、殺傷能力のある火炎瓶を投げつけるなどということは、国家に対する反逆である。また、沖縄戦で亡くなられたたくさんの沖縄の人に対する侮辱でもある。平和のために生命を捨てた人からすれば、暴力を使って自分の思想を実現させようというのは、侮辱に他ならない。
しかし、知念功は犯行前、沖縄戦や沖縄の歴史に関する書籍を片っ端から読みあさっていた。くしくも、天皇陛下も沖縄ご訪問の前、沖縄戦と沖縄の歴史に関する書籍を片っ端から読まれておられた。そして、知念功は、天皇陛下ご訪問の1週間前、洞窟に入った。1週間、真っ暗な洞窟の中で息を殺して、天皇陛下がやってくるのを待っていた。その恐怖は計り知れないものだろう。そして天皇陛下は生命をかけてひめゆりの塔をご訪問された。この恐怖も計り知れないものだろう。
天皇陛下と左翼テロリスト。もっともかけ離れた立場の人間である。だが、ふたりのこころには、生命をかけて沖縄を幸せにしたいという気持ちがあった。左翼テロリストなど、糞みたいな物だが、天皇陛下はその糞と本気で対話した。
その後、知念功ともうひとり洞窟に潜っていたふたりの左翼は、懲役2年6ヶ月の実刑が下った。服役中、日本赤軍という左翼テロリストが日本航空の飛行機をハイジャックし、バングラディッシュのダッカ空港で、日本で服役している9人の同士の釈放と身代金を要求する事件が起きた。日本政府は、福田赳夫首相が、「人命は地球より重い」とし、日本赤軍の要求を飲んだ。これは完全にテロに屈したことであり、戦後政治の最大の汚点である。この釈放を求められた同士の中に知念功が入っていた。しかし、知念功は刑務官に「出国の意思はない。日本赤軍には政治的・思想的な一致点は一切ない」「沖縄解放の闘いは沖縄を拠点に沖縄人自身が闘うべきものである」と返答し出国を拒否した。